統計力学の興味深い点は、そのアプローチから熱力学現象を説明できる点にあります。
つまりミクロな現象がマクロな性質に反映されるという事であり、逆に言えばマクロで観測される現象の正体が明らかになると考えることができます。
例えばボルツマンの原理 \(S = k_\text{B} \ln w\) では、熱力学的には解釈が容易ではないエントロピーを見事に微視的状態の数という比較的理解が容易な解釈を与えてくれます。
当ページでは、熱力学系を更に統計力学的に扱う準備として正準集団 ( カノニカルアンサンブル ) という概念を紹介します。
■このページで分かる内容のまとめ■
温度、体積、物質量 \((T; ~ V, ~ n)\) が一定の系を要素とする正準集団 ( カノニカルアンサンブル ) において、エネルギー \(E_i\), \(E_j\) をもつ要素の数 \(M_i\), \(M_j\) の比を正準分布 ( カノニカル分布 ) と呼び、次式で与えられます。
\[ \frac{M_i}{M_j} = e^{-\frac{E_i - E_j}{k_\text{B}T}} \]
ここで \(k_\text{B}\) はボルツマン定数です。
正準集団 ( カノニカルアンサンブル )
正準集団とは、温度、体積、物質量 \((T; ~ V, ~ n)\) が一定の系を要素とした集合です。
要素間では互いに熱の交換が許されており、ある温度 \(T\) を中心に揺らいでいるという状況です。
このような要素の集合を考えることで、統計的に熱力学系の性質を記述することができます。
系は絶えず時間的に微視的状態を変化させているわけですが、測定する熱力学量は一定値を示します。
これは熱力学量が時間的に平均化された量であるためです。
しかしながら、系を構成する分子はアボガドロ数 \(10^{23}\) 個を超える数を有し、これらの時間変化を追跡するのは技術的に困難です。
そこで利用するのが正準集団の概念になります。
正準集団では無数の要素 ( 系 ) を考える訳ですが、骨となる考え方はそれぞれの要素を1つ要素の経時的なスナップ写真と捉えることです。
前述の通り系の時間的な変化を追うことは困難を極めますが、この様な考えの下で平均を取れば系の時間平均を求めることができそうです。
ただ事実を言うと、無数の要素の平均をアンサンブル平均と呼び、時間平均とは異なります。
しかしながら統計力学では、これら2つの平均が等しいという仮説を通して様々な現象を解き明かすことができます。
※アンサンブル平均と時間平均が等しいとする仮説をエルゴード仮説と呼びます。
正準分布 ( カノニカル分布 )
正準集団の要素間で熱の移動が生じることで、要素ごとにエネルギーの違いが生まれます。
集団のどれくらいの要素がどれくらいのエネルギーを持つかを記述した正準分布 ( カノニカル分布 ) を導くことを考えましょう。
正準分布 ( カノニカル分布 ) の導出
正準集団の要素 全 \(M\) 個が、それぞれ持ち得るエネルギー状態を考えます。
要素が取り得るエネルギーが \(E_0\), \(E_1\) \(\cdots\) \(E_r\) の \(r\) 状態あるとして \(M\) 個の要素を各状態に分配することを考えます。
各エネルギー状態を持った要素数がそれぞれ \(M_0\), \(M_1\) \(\cdots\) \(M_r\) であったとき、その状態数 \(W\) は次式で与えられます。
\[ W = \frac{M!}{M_0! M_1! M_2! \cdots} = \frac{M!}{\prod_{i = 0}^r M_i!} \]
ここで \(M_i\) はエネルギー \(E_i\) を持つ要素数であり、\(M = \sum_{i = 0}^r M_i\) を満たします。
また簡単のために 要素が取り得るエネルギー状態それぞれの縮退度は 1 であるとしましょう。
これから考えることは、この \(W\) が最大となる場合の \(M_0\), \(M_1\) \(\cdots\) \(M_r\) がどのように表されるかです。
\(W\) が最大というのは正準集団の取り得る状態として最も確からしい状態を指しており、この考え方はボルツマン分布の導出の際に説明した事と同様です。
以降の内容に進む前に確認しておくことをオススメします。
状態数の最大値を求めるとき、対数 \(\ln W\) で考えたほうが解析が容易になります。
\(W\) の対数を考えると
\[ \begin{align*} \ln W &= \ln \frac{M!}{\prod_{i = 0}^r M_i!} \\[15pt] &= \ln M! - \ln \prod_{i = 0}^r M_i! \\[15pt] &= \ln M! - \sum_{i = 0}^r \ln M_i! \end{align*} \]
となり、スターリングの公式 ( \(\ln M! \simeq M \ln M - M\) ) を利用して更に整理していくと次式が得られます。
\[ \begin{align*} \ln W &= M \ln M - M - \sum_{i = 0}^r \big( M_i \ln M_i - M_i \big) \\[15pt] &= M \ln M - \sum_{i = 0}^r M_i \ln M_i \\[15pt] &= -\sum_{i = 0}^r M_i \ln \frac{M_i}{M} \end{align*} \]
ここで状態数 \(W\) を最大化する \(M_0\), \(M_1\) \(\cdots\) \(M_r\) を求めるにあたって、次の条件を設けることにします。
\[ \begin{align*} &\sum_{i = 0}^r M_i = M ~~~ ( ~ \text{Const.} ~ ) \\[15pt] &\sum_{i = 0}^r E_i M_i = E_\text{ens} ~~~ ( ~ \text{Const.} ~ ) \end{align*} \]
つまり、集団全体がもつエネルギーおよび要素の数は一定であるということです。
ところで、式(3)および式(4)を用いて \(\ln W\) の最大値を求める問題はボルツマン分布の導出と形式的に同じことに気付くでしょうか?
ボルツマン分布は、系を構成する分子のエネルギー状態を表すことができました。
正準分布の場合では、ボルツマン分布で考えた「分子」がちょうど正準集団の「要素 ( 系 ) 」に置き換わったと考えれば良いでしょう。
したがって得られる結果はボルツマン分布の形式と全く同じで、正準分布は次式で与えられることになります。
\[ \frac{M_i}{M_j} = e^{-\beta (E_i - E_j)} \]
ここで正準分布式(5)に含まれる \(\beta\) は最大値問題を解くときに与えた未定係数です。
ボルツマン分布ではこの未定係数は \(\frac{1}{k_\text{B}T}\) であることを確かめられますが、実は正準分布でも同様であることが以下で明らかになります。
要素のエネルギー期待値
正準集団の要素のエネルギー期待値について考えてみましょう。
要素のエネルギーが \(E_i\) となる確率 \(\frac{M_i}{M}\) は、式(5)から次のように計算すれば得られます。
\[ \begin{align*} \text{eq(5) : } ~~~ & \frac{M_i}{M_j} = e^{-\beta (E_i - E_j)} \\[15pt] \Leftrightarrow ~~~ & M_i e^{\beta (E_i - E_j)} = M_j \\[15pt] \Leftrightarrow ~~~ & \sum_{j = 0}^r M_i e^{\beta (E_i - E_j)} = \sum_{j = 0}^r M_j \\[15pt] \Leftrightarrow ~~~ & M_i e^{\beta E_i} \sum_{j = 0}^r e^{-\beta E_j} = M \\[30pt] \therefore ~ & \frac{M_i}{M} = \frac{e^{-\beta E_i}}{\displaystyle \sum_{j = 0}^r e^{-\beta E_j}} \end{align*} \]
ここで、可読性に配慮して新たに次に示す \(Z\) を定義しておきます。
\[ Z \equiv \sum_{j = 0}^r e^{-\beta E_j} \]
すると、式(6)は次のように書き直されます。
\[ \frac{M_i}{M} = \frac{e^{-\beta E_i}}{Z} \]
得られた確率分布式(8)から、正準集団の要素のエネルギー期待値 \(\bar{E}\) を求めることができます。
\[ \bar{E} = \sum_{i = 0}^r E_i \frac{M_i}{M} = \frac{1}{Z} \sum_{i = 0}^r E_i e^{-\beta E_i} \]
更に式(9)に含まれる和は次式によって表すことが可能であり
\[ \sum_{i = 0}^r E_i e^{-\beta E_i} = - \frac{\partial Z}{\partial \beta} \]
以上の内容から、式(10)を式(9)に戻して整理すれば要素のエネルギー期待値は次のようになることが分かります。
\[ \bar{E} = -\frac{1}{Z} \frac{\partial Z}{\partial \beta} = - \frac{\partial \ln Z}{\partial \beta} \]
冒頭で述べた通り、正準集団の要素のエネルギー期待値は熱力学的なエネルギーに相当します。
つまりエネルギー期待値 \(\bar{E}\) とは、熱力学における内部エネルギー \(U\) を指すという事です。
こうして熱力学量と統計力学量との関係をまた1つ理解することができます。
更に計算を進めて、式(3)の状態数 \(\ln W\) に正準集団の確率分布式(8)を代入してみましょう。
\[ \begin{align*} \text{eq(3) : } ~~~ & \ln W = - \sum_{i = 0}^r M_i \ln \frac{M_i}{M} \\[15pt] \text{eq(8) : } ~~~ & \frac{M_i}{M} = \frac{e^{-\beta E_i}}{Z} \\[30pt] \Rightarrow ~~~ & \ln W = -\sum_{i = 0}^r M_i \ln \frac{e^{-\beta E_i}}{Z} \end{align*} \]
式(12)を整理すると
\[ \begin{align*} \ln W &= -\sum_{i = 0}^r M_i \big( \ln e^{-\beta E_i} - \ln Z \big) \\[15pt] &= \beta \sum_{i = 0}^r M_i E_i + M \ln Z \\[15pt] &= \beta M \bar{E} + M \ln Z ~~~ \left( ~ \text{eq(9) : } \bar{E} = \sum_{i = 0}^r E_i \frac{M_i}{M} ~ \right) \\[30pt] &\therefore ~ \frac{1}{M} \ln W = \beta \bar{E} + \ln Z \end{align*} \]
となります。
ここで正準集団のそれぞれの要素 ( 系 ) がとる平均的な微視的状態を \(w\) としたとき…
この正準集団の状態数 \(W\) は次のように表すことができます。
\[ W = w^M \]
式(14)を式(13)に代入して、ボルツマンの原理 \(S = k_\text{B} \ln w\) を用いれば次式が得られます。
\[ \begin{align*} \ln w &= \beta \bar{E} + \ln Z \\[15pt] \therefore ~ S &= k_\text{B} ( \beta \bar{E} + \ln Z ) \end{align*} \]
式(15)の微分を計算すると
\[ dS = k_\text{B} ( \bar{E} d\beta + \beta d\bar{E} + d\ln Z ) \]
となって、式(11)から得られる \(\bar{E} d\beta + d\ln Z = 0\) の関係を用いて式を整理すれば
\[ dS = k_\text{B} \beta d\bar{E} \]
となります。
エントロピー \(S\) は熱力学的に熱 \(\delta Q\) と温度 \(T\) を用いて \(\frac{\delta Q}{T}\) で与えられます。
また、いま要素 ( 系 ) の体積は一定なので、熱力学第一法則から \(\delta Q = d\bar{E}\) が成立しています。
これらの事から、式(17)は次のように書き換えられ
\[ \frac{d\bar{E}}{T} = k_\text{B} \beta d\bar{E} \\[15pt] \]
直ちに \(\beta\) の具体的な表式も得ることができます。
\[ \beta = \frac{1}{k_\text{B}T} \]
ここまでの内容を通して、結果的に正準分布が次式で与えられることが分かるでしょう。
\[ \frac{M_i}{M_j} = e^{-\frac{E_i - E_j}{k_\text{B}T}} \]
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今年で物理化学歴11年目になります。
大学入試2次数学でたった3割しか得点できなかったいわゆる数弱落ちこぼれ。それでも好きこそものの上手なれと言ったところか、学会で最優秀賞受賞したり首席卒業できてしまったので、役に立つ知識を当サイトに全て惜しみなく公開しようと思います。ブックマークをオススメ。